寺院の歴史

1200年を超える
長い歴史をもつ黒髪山

真言宗大覚寺派 別格本山黒髪山大智院の由緒

延暦23年(西暦804年)、お大師様は肥前国は松浦郡田ノ浦より遣唐使船にて唐に向けて出航される前に留学の目的達成を黒髪山大権現(くろかみざんだいごんげん)(武雄市山内町黒髪山)に立願された後、渡唐。唐の長安にて青龍寺(しょうりゅうじ)恵果(けいか)和上より真言密教の全てを受法され、大同元年(西暦806年)ご帰朝。
太宰府観世音寺に留まられていた際に、満願成就をご奉告に再度黒髪山にご登嶺され、草庵を結ばれ薬師如来・阿弥陀如来・千手観世音菩薩を本尊とし、自らのお爪にて不動尊を刻まれ壇上に安置され当山を御開創。肥前国ではお大師様御開創の最古真言霊場であります。

また江戸期(正保年間)には当山第11世尊覚(そんがく)住持は京都大覚寺第37世門跡(もんぜき)尊性法親王(そんしょうほっしんのう)様の書講として招かれ、その功績により尊性法親王様のご住房である大覚寺塔頭(だいかくじたっちゅう)「大智院」を下賜され、これにより宮殿下に準ずる待遇を受けることとなり、以来当山住持を「院家」(いんげ)と称することを許されたのであります。

最盛期には80を超える末寺を擁する肥前の大寺として全国に名を馳せていましたが、明治11年の大火災により伽藍のほとんどが焼失しました。
しかしながら法灯は守られ、当時海軍鎮守府設置により発展気運高き佐世保の地にて再建することが決議され、明治39年現在地に移転を果たしました。

以来、明治・大正・昭和・平成の時代の中で現在の大伽藍が建立されました。平成18年には開創1200年大法会並びに記念事業遂行、平成25年には永代供養堂「蓮華殿」(れんげでん)落慶、平成28年開創1210年記念事業として大山柱(だいさんちゅう)建立など寺観を整えてまいりました。

このように、当山は弘法大師御開創の古刹(こさつ)として、また肥前最古の真言道場として明治維新までは80余ヶ寺の末寺(まつじ)を擁し、法親王(ほうしんのう)の待遇を受けた由緒尊き別格本山として、現在に至るまで法脈を保ち、高く法灯を掲げ、法輪を転じている名刹であります。
なお、九州八十八ヶ所百八霊場104番札所であります当山護摩堂のご本尊はお大師様が自らのお爪にて謹刻された不動明王であり、通常は秘仏「爪刻不動明王」(つまぼりふどうみょうおう)として護摩堂内の厨子内に祭祀られ、毎年当山最大行事であります「節分星まつり大祭」(1月最終日曜日)の時のみご開帳いたしております。